| キツツキ:2008年5月5日 |
![]() 栗の丸太にぽっかり開けられた穴はキツツキの仕業である。 子供の拳ほどの大きさだが、奥はくちばし状に狭く、深さはそんなにない。 この日、市場に並んだ材の中では、かなり太くて、素性の良さも際立っていたのがこの栗の木。事務所で顔を会わせた職員さんが、けっこう太いのが出てますよと教えてくれたとおり立派なもので、この木の他にはこれといって目ぼしいものはなかった。 最近、栗はよく使うし、買っておきたいところだが、問題は長さ4mの中ほどやや上に一ヶ所開けられたこの穴。といっても穴自体はそれほど苦ではなく、怖いのは、キツツキが狙った虫のほう。 以前製材屋さんから教わったのだが、キツツキがつっついた木は、確実に虫が喰っている。要注意なのである。実は何年か前、知らずに買って失敗したこともあるのだ。 栗の木は立ち木の時点で、小さな虫が中を喰う事があり、そういった木は製材すると1ミリほどの穴が出てくる。少しなら埋めようもあり、まだ我慢できるが、あまり数が多いと見苦しくて使いものにならない。乾燥が進めば虫はいなくなるので、製品になってからの被害はないのだが。 切り口を確かめると、末側に、よく見ないと気付かないほど小さなピンホールが数ヶ所あった。元のほうは年輪も詰まって、惚れ惚れするような綺麗さである。さて、どうするか。 こういった、ちょっと危ない木の場合、当然あまり高くは入れない。しかしひょっとすると、中の被害が軽微でラッキーというのもあり得るから、他の人に持っていかれるのは口惜しい。安く入札して後悔するのもいやだから、そこそこは張ってみる。 結果、買えたんですが、まだ挽いてないので中身はこれからのお楽しみなのです。 |
| 目覚し時計:2008年3月4日 |
![]() 先日、目覚し時計を探していて、「無印」で見つけたた小ぶりな時計。 匠気を感じさせないすっきりとしたデザインが気に入って買い求めた。単純な構成だから、だれがやっても同じようだけど、なかなかこんなにきれいにまとめられない。買ってからときどき眺めて、感心することしきりなのである。 まだ怖いもの知らずだった20代のころ、時計のデザインをしている会社の面接を受けたことがあった。 特に時計に興味があったわけではなく、またそんなデザイン経験もまるでなかった。新聞か何かの求人欄で小さな募集記事を見つけ、あわよくば使ってもらえるかもしれないと出かけたのだ。 先の見えないアルバイト暮しに、そろそろ見切りをつけたかったのも確かである。 静かな住宅街のマンションの一室にあったその会社は、机が三つほど並ぶ小さなデザイン事務所で、たしかシチズンの時計をデザインしているとのことだった。 私ひとりのために手を休め、代表の方と若いデザイナーの2人で、かなりの時間をかけて面接をしてくれた。 長いやりとりの後、「やれるかどうか判らないけれど、本当にやる気があるなら来てもらってもいいよ」というのがのお二人の結論だった。 しかしそう言ってこちらに下駄を預けられると、二つ返事というわけにいかなくなった。 たいした動機もなくて、たまたまここに来てしまったような自分では、とても勤まらないのではないか。そう思えたてきて、その場で辞退申し上げた。家路に着く足取りが、妙に軽かった思い出がある。 |
| 石段:2008年2月10日 |
![]() 工房の裏は大家さんのブルーベリー畑になっていて、畑のほうが一段低いのだが、工房の土地とは腰高ほどの段差がある。 畑の横には東西に長い小屋があって、そこに当座使わないような材木を置かせてもらっているので、ときどき用があると、この段差を越えて小屋との間を行き来することになる。 手ぶらでも一足飛びに乗り越えるにはちょっと高い。石垣に足を掛けて、ヨッコラショという高さである。 とくに重い板材を持っていたりすると、その段差の上り下りが苦になっっていたが、ある日、私の知らないあいだに大家さん手製の石段ができていた。 加工した石ではない。どこで見つけてきたのか、段々のある自然石をそのまま置いたプリミティブなもの。たぶん日曜日にトラクターで持ってきたのだろう。これで上り下りが格段に楽になった。 しかし幅といい高さといい、こんなぴったりサイズの石が、よくまああったものである。 |
| 額彫り:2008年1月16日 |
![]() 額彫りをやるのも久し振りだった。写真展用に6個頼まれて、延び延びになっていたのを年末になってやっと仕上げた。写真はクルミの木だが、今回桜と樺の木も使った。 一枚板を葉書大にくり抜いてから、中をノミで彫っていく。緩やかにカーブをもたせた内側の仕上げは、小鉋(かんな)豆鉋で。ほとんど手作業なので、一日中やっていると終盤は筋肉痛との戦いである。 この額、木工を始めたころはずいぶん作った。展示会などでそれなりに売れたわけで、正確に把握はしていないが、今までに200個ぐらいは彫ったのではないか。 またそのころはこの額の仕事が好きだったのも確か。ノミや鉋を駆使して一枚の木に形を与えていく、まさしく木工の王道であり醍醐味だと感じていた。 最近はテーブルや椅子、大きなキャビネットなどの仕事がほとんどで、小物を作ることがめっきり減ってしまった。宣伝らしいことを何もしないので、小物はやらないと思われているのかもしれない。 そういえば、年が明けて、いくつか鉋を注文した。鉋を買うのも久し振りである。道具類は木工を始めたころほよんど揃えたので、たいていの鉋はあるのだが、なんだか新しいのが欲しくなったのだ。 鉋で木を削るのは、やはり木工の楽しみのひとつと私は思っている。ただし代償としての筋肉痛も引き受けないといけないのだが。 |
| シオジ:2007年12月17日 |
![]() 原木市場に高々と積み上げられた丸太はシオジの木。直径50センチから80センチ、長さ3〜4メートルの大径木が20本以上はあるか。 普段から市場通いをして原木は見慣れていても、これだけの量はなかなか見ない、圧巻である。 この丸太の山、さして盛況とはいえない暮れの市に出品されたのではなく、新春の初市のために集められた、いわば目玉商品なのだ。 一般にはあまり馴染みがないかもしれないが、シオジ材はよく流通しているタモ材の仲間で、色や木目が似ている。ここから程遠くない群馬県上野村の特産といわれる。 こんな立派な木があるのは山の奥深くの国有林だから、むやみに伐採はできないのだが、年に何回かある記念市のためには特別許可が下りるのか、シオジやケヤキ、カバなどが上野村から運ばれてくる。 先細りの木材業界、活気を失った原木市場にカンフル剤を打つ、といったところか。 |
| ベンチ:2007年11月3日 |
![]() 埼玉県のとある病院の建設現場にて、試作の椅子を持ち込んで、張り地の色を打ち合わせているところ。 今月末にオープンするこの病院の待合室のベンチを頼まれていて、現場での色合わせとなった。とりあえず一人用のを作って、手持ちの布地を張ってみた。実際のベンチは、この椅子が横にずらっと並んだようなものになる予定で、すでに製作に入っている。 ただこの椅子でかなりの部分を占める張り地の色は、工房で色見本をながめていてもなかなかイメージが湧いてこない。家具を単体の置物として考えると、不似合いな選択をしてしまうおそれもある。 カーペットや壁の色と質感、置かれる空間の広さと明るさ、などなど、やはり現場に行ってみないと分らないことが多い。 建築設計の相崎さんが、使えそうな色のサンプルをいくつか取り寄せてくれたので、施主の方も交えて打ち合わせとなった。 現場でやればすぐ決まるよ、とは相崎さんの予想だったが、迷うばかりでなかなか決まらない。色鮮やかなのは浮いてしまう。淡い色調は汚れが目立つし、かといって濃いのは、地味すぎて色気がなくなる。これで行こうという決定打が出ない。 もう少し別のサンプルも取り寄せて、やり直しましょうということでこの日はお開きになった。色は難しい。 |
| イタリア:2007年10月14日 |
![]() 酒を飲む人なら見覚えがあると思う。シャンパンのコルク栓を固定する針金である。 お目出度いことがあると、この炭酸入りのワインを空けて乾杯とはパーティーの定番だが、自分で買って飲んだりしたことはない。 車の小物入れに一年余り眠っていたこの針金は、拾ったものである。 昨夏の初めに、一週間ほどイタリアのチェルタルドという街に行った。ローマから見れば北の方角、フィレンツェのちょっと南にあるトスカーナ地方の小さな街である。 その古城のある美しい街と、わたしが住む甘楽町とが姉妹都市という縁で、古い教会を会場にチェルタルド側から6名、甘楽町から6人のグループ展を開いた。その展覧会の準備を兼ねて行ったのだが、着いた翌日がたまたまサッカーのワールドカップの決勝戦の日という、なんともラッキーな巡り合わせだった。もちろん勝ち上がったのはイタリアとフランスである。 試合は夕刻、まだ明るい時間に始まった。 こういう大一番は、屋外にテレビを持ち出して観戦するというのがこの国のスタイルらしく、石畳の路上にご近所が集まり、一台のモニター(決して大きくはない)を囲んで見入っている。 我々の一行が食事を終えて宿の近くをぶらぶら散歩をしていると、顔見知りの家の前で、一緒に見てかないかと誘われた。どこかの家から椅子と飲み物が出てきて応援の仲間入りとなった。 試合中ボールが動いている間は、皆が声を潜めてじっと画面に見入る。一旦プレーが止まると、見ているほうも肩の力が抜けるのか、身振り手振りでわいわいと、普段のイタリア人に戻った。 そしてゴールしようものなら、街中が、いやおそらく国中でウォーと雄たけびを上げるので、たとえ試合を見ていなくても点が入ったぐらいのことは判る。サッカー以外ではありえない一体感。 結果はご存知のようにジダンの頭突き退場騒ぎがあったりして、イタリアの優勝。それから祭りのような大騒ぎがはじまった。だれかがシャンパン出してきて、栓を抜く。皆んなのコップに、もちろんわれわれにも注いでくれて乾杯となった。 そのあとイタリア中が酔っ払った夜が始まるのだが、私たちは明日の予定もあるので、ほうぼうで鳴り止まぬクラクションの音を聞きながら、ホテルに帰った。 翌朝、やけに早く目が覚めてしまったわたしは、宿の近くをひとり散歩した。夜更かしをした街はまだ静かに眠っている。昨晩、観戦をした通りは、何ごともなかったようにきれいに片付けられていた。ここでは毎朝清掃車が回り、路上のゴミを掃き取っていく。 人っ気のない通りに、うなりをあげて走る清掃自動車を見送ったあと、何気なく足元を見ると、石畳の上に素敵な形をした針金があった。きのうのあれに違いない、とその時は何だかとってもいいものを見付けたような気がして、ポケットに仕舞い込んだわけである。 |
| 屋根:2007年9月14日 |
![]() 先日の台風9号は、県西部にかなりの被害をもたらした。隣の富岡市や吉井町の名前がニュースでたびたび登場し、気象情報から目が離せなかった。ここ甘楽でも激しく降ったのだが、幸い大きな災害はなかったようである。 工房は建物が年代物のため、雨漏りが激しかった。屋内に水溜りがいくつも出来るほどで、材木と木工機械も一部水をかぶった。 翌日は、水を汲み出したり機械の錆を落としたりで半日がかりであった。 台風の後も天気がぐずついたが、たいした降りでもないのに一箇所やっぱり雨漏りが止まらないところがある。久し振りに晴れたこの日屋根に登ってみると、案の定そこの瓦が一枚割れていた。瓦は肉の薄いセメント瓦というのである。こんなときのために予備があったので差し替えて修繕完了。 高いところは苦手なのだが、この日は風が心地好かったので屋根で少し長居をした。山の向こうの雲が秋めいている。梅原の画「北京秋天」にあったような雲である。季節が変わろうとしている。 |
| 栗の丸太:2007年8月28日 |
![]() 製材所で撮った栗の丸太の写真である。これからフォークリフトで台車に載せ、製材が始まる。長さは約4m、こっちに見えてる木口の径は60cmぐらいあるか。 実はこの木、原木市場で見かけて入札したのだが、落札できなかったもの。買ったのは顔馴染みの製材屋さんである。 落ちると思っていたのを他人に取られるのは悔しいが、まあそういうこともあるかとしばらく忘れていた。 先日、別の用件で製材屋さんに電話したら、この栗の話になった。売れずにまだそのままあるという。それなら僕が買いますと即、話がまとまった。 行ったり来たりで費用も余計にかかったが、結局そっちに行く運命だったんだよ、と製材屋さん。釣り逃した魚を魚屋で見つけて買うようなこともあるのだ。 |
| 小鉋:2007年8月13日 |
![]() 大小合わせて50丁ほどある鉋(かんな)の中で、一番使っているかもしれない。刃幅3センチ、小鉋というより豆鉋の部類か。ホゾ先の面取りをしたり、小さなパーツの鉋がけや、角棒を丸めたりと手近にいて活躍する。 木工を始めたころに買ったのだから、鉋の中では一番の古株でもある。ただし刃は2代目。1代目が切れ止んだので、途中で取替えている。 先日この鉋がゆくえ知れずになった。 現場に持っていって使ったのだが、帰って来て探したら見当たらない。タオルにくるんで道具箱に入れておいたはずなのに。 建て主の人に話したら、暗い中わざわざ見に行ってくれた。が、やはり見つからなかった。 ないと不便だし、また新しく買うかなんて気になっていたら、2日後ひょっこり出てきた。無くしたと思った現場の次の日も別の現場があって、そっちに忘れていたのだ。薄汚れたタオルにくるまれて出てきた。嬉しいというよりは、なんだよって感じである。 |
| 梅雨:07年8月1日 |
![]() 8月に入ろうかというのに、なかなか梅雨が明けない。 先月の月初めのころは、からりと晴れた日が何日かあったので、今年は空梅雨だね、なんて言ってたのに、長い梅雨になってしまった。台風もずいぶんな雨を降らせた。 子供はとうに夏休みに入っている。夏休みになった子供にとって、晴れるか降るかは大違い。プールに遊園地、海にキャンプにお祭りとお出かけが続く。 いつもは新聞のテレビ欄しか見ないのに、横の天気予報のほうが気になってくる。 明日はなんとか晴れますように。てるてる坊主に願かけをしたのだが、吊るすのに適当な軒先がうちにないので、表の壁にべたべた貼ったらしい。 |
| 日本製:2007年5月13日 |
| しかし、こうも簡単に壊れるものだろうか。買ったばかりのパソコンが壊れたのである。 最近、丸7年使ったパソコンの調子がすこぶる悪くなってきた。まあここらが替え時かと一大決心。最新型に変えて使い始めてから、ちょうどひと月目のことである。突然画面が真っ暗になり、それっきり液晶のライトが点かなくなった。 次の日、メーカーに電話して復旧をいろいろ試みたが、結局だめで、引き取って修理という扱いになった。最短で明日の午後、伺いますとのこと。国産の一流といわれるメーカーなので、この辺の手際はいいとしても、だからなおの事、こんなに早く壊れるモノかとお聞きしたかった(じっさいは聞かなかった)。 今回のパソコンを選ぶとき、安売りで鳴らす外国製品も候補にあったが、やはり信頼できるのは日本製だろうということで、割高にはなるが国内メーカーのモノにしたのだ。にも係わらず、こんなことになろうとは。 おそらくパソコンのようなものは、国産といっても世界中からパーツを調達して組み立てているのだろうから、純粋なメードインジャパンではない。外箱に何国製と書いていようと、そういう意味では皆同じ多国籍製なのである。 そして世界的な価格競争にさらされる商品だから、各パーツを少しでも安くということになる。結果、品質もそれなりにおろそかになるのではないか、というのが私の診立てである。 もう10年近く前、工房をはじめてしばらくの頃だが、ときどき世間話をしに来る近所のおじさんがいた。忘れた時分にふらっと現れて、30分ばかり話をしたあと、いつも決まって「邪魔して悪かったな」と帰っていく。年金暮しといった風情の、そのひとから聞いた話がある。 おじさんの家の斜向かいの人が、小さな町工場をやっていたらしい。 何人かの人を使い、ある家電メーカーの部品を作っていた。おそらく下請けか孫請けだったのだろう。 当初、その部品の卸値はひとつ35円だったという。それはかなりいい値段だったらしく、工場の経営も順調だった。ところが突然、メーカー側は1個15円にしてくれと言ってきた。 かなり無茶な要求なのだが、他に仕事も無いため、泣く泣く承知したという。 しかしそれも束の間のことで、今度は1個7円でやれと迫られた。嫌なら外国で作らせるからと言うのである。斜向かいの経営者は企業努力もこれまでと、工場をたたまざるを得なかったという。そして心労がたたったのか、その後病に倒れてしまい、後遺症で半身が利かない生活になった。 パソコンを修理に出したあとで、その話がふと記憶に甦った。 ずいぶん前に聞いた話を思い出したのはたぶん、そのときの値下げを迫ったメーカーと、壊れたパソコンのメーカーとがたまたま同じだったからである。 |
| 手帳:2007年2月10日 |
| ある日曜日のこと。日も暮れたし、そろそろいいかと家で一杯やり始めたところで、あっと気付いた。6時から会合があったのを、すっかり忘れていた。 時計を見れば6時を15分過ぎたあたり、会合場所は車で30分程のところである。飲んだら運転は出来ないし、もうどうにもならない。万事休す、欠席という結論に達したところで電話機が鳴った。 これは呼び出しに違いない、と思い女房に出てもらうと、案の定、会の事務方をやっているHさんかららしい。手でバツのサインを送り、「仕事で出かけてます」なんて苦し紛れを言ってもらったのだが、反省しきりであった。 歳相応といえばそうなのかもしれないが、このごろ会議とか集まりが増えた。 平日の夜だったり、休みの日だったり。本当はみんな家でのんびりしたいに違いないが、時間を工面して律義に集まってくる。大抵7、8人の集まりである。 話し合いも終り、さて次の会合はいつにしましょうかなんてことになると、バッグから手帳を取り出し、パラパラとページを繰って予定をチェックし始める人が多い。あるいはケイタイのスケジュールカレンダーをカチャカチャやりだす人もいる。 ところが、私はどちらも持ち合わせないので、その間手持ち無沙汰になってしまう。仲間はずれの子供みたいに、腕組みなんかして暇そうにそれ眺めているのである。 言わずもがなではあるが、忙しい人にとって手帳とケイタイは必携アイテムなのだ。 私の場合、予定や約束事はカレンダーに書き入れてお終いである。 打ち合わせ納品などの仕事の予定は工房のカレンダーに、PTA関係など仕事以外の用事は家のカレンダーに。しかしカレンダーは持ち歩けないので、出先で予定を聞かれると、困らない訳ではない。頭の中にカレンダーを思い浮かべて、その日何か書き込みがなかったか考えたりしている。 それでも、このやり方でこれまで何の問題もなくやってきたし、いまのところ予定が重なって混乱するほど多忙ではない。きっと手帳を買っても、ほとんど真っ白で見ないに決まっている。 冒頭の会合も、冷蔵庫に貼った大きなカレンダーにしっかり書きこんでおいた。そして昼の間はちゃんと憶えていて、気に掛けていたのに。 受話器を置いたあとカミさんが、「あー、嘘つくの苦手」と吹き出し笑ったので、「オレはそういう嘘、けっこう得意だがな」などと減らず口を叩き、照れ隠しをしたのである。 |
| Oさんの絵:2006年11月16日 |
| 「いいものは必ず売れる。まず俺が買う。」 そう言い放ったのは画家の靉嘔(アイオウ)である。正月元旦の新聞にこの言葉を見つけて、なるほどと唸ったのは、もうかれこれ15年近く前のことになる。 若い作家たちへの励ましに書いたのか何だったのか、前後の文章はもう忘れてしまったが、このフレーズだけが心に残った。 当時、神奈川の工房で働いていた私は、そろそろ独立しようかどうかと思案中であった。果たして自分の作る物を買ってくれる人が現れるのだろうか。何の当てもなく自信が持てなかったとき、こう言ってくれる人が世の中に一人でもいることは、何とも嬉しかった。 そうか、いいものを作れば買ってくれる人がいるのだ。少し前途が明るくなった気がしたのである。 絵描きのOさんは群馬に越してきてから知り合った方で、歳は70をちょっと越えたあたり。出た大学が同じというのと、住まいが近くなのでお付き合いをしてもらっている。 額縁に入ったいわゆる油絵的な絵は一切描かない人で、何十年もずっと現代美術ひとすじである。5、6年前にはじめてお宅におじゃまして拝見したときから、作品が好きになった。変形のキャンバスに明るい色彩の作品が多い。うまく説明できないがセンスを感じる絵である。 私もかつて絵を書いていた時期があるので、少しは見る目があるつもりだが、こんないい絵描きさんが、地方の町にいてひっそり森の中に住んでいるのが不思議なくらいの人である。 先月そのOさんの個展があり、拝見していたら隅のほうに掛けてあった小さな作品がどうしても欲しくなった。 実をいうと、もう何年も前から、一点ぐらい持っていたいとぼんやり考えていたのだが、なかなか機会が巡ってこなかった。そう度々個展をやられるわけではないし、今日こそはどうかな、なんて家を出る前に密かに考えていたのである。 これと思ったのは25センチ角ぐらいの小品で、鮮やかな青と黄色の作品。キャンバスと板材とを使って、少し立体的に構成している。 思い描いたとおりの作品が目の前にある。買えない値段ではない。ただ絵を買うなんて初めてのことで、どきどきである。わたしの場合、身の丈に合わぬことをしようとすると平静さを失うのだ。 個展会場は初日だったので、Oさん夫妻はもちろん、他に知り合いも来ていた。元来、派手なことは苦手。絵を買いますなんて、その場ではどうしても切り出せなくて、まごまごしているうちにもう閉廊の時間である。みなさん帰り始めるので、私も一人残るのは変だし、お礼を言って画廊の外へでた。 車に乗り込んでから、「なんだ買わないのかよ。」って自分に問いかける。 「また次の機会?」 「・・・・」 迷ってるうちに、大通りへ出てしまった。自分の運転する車はお構いなしに家路に向かっている。 「どうすればいい。引返すべき?。でももう遅いか。」 「そうか、電話。今すぐ電話で、あの絵買いますって伝えればいい。」 画廊の番号はDMハガキに載っているはずである。 「お金は振り込みます。作品はまたあとで取りに行きます。」って。 |
| 空欄:2006年9月30日 |
| 工房の前で車が停まる音がしたので、入り口に出てみると大きなパネルを抱えた男が駆け寄ってきた。 「甘楽木工房さんですよね」、髪を伸ばしたフリーターといった感じの若者である。 こちらの名前を確認してから、 「今度こんなのを作るんですけど、名前を入れてもいいですか」そう言って、抱えたパネルを目の前に差し出した。 全紙大の厚紙に、道路と建物が黒いフェルトペンの線で描かれている。稚拙な感じの手書きの地図である。 唐突で何のことか判らず突っ立っていると、「ここんところに地図の看板があるんですよ」と絵の中の交差点を指差した。あたりの店の名前からすると、どうやら隣の小幡の商店街らしい。 そう言われてみれば、そのあたりに地図の看板があったような気がする。 ブロック塀や金網のフェンスに貼り付けられた商店街地図。抱えてきた厚紙はその下絵なのだろうか、道路の線の両脇に店が何軒か並んでいて、その枠内に一軒一軒の屋号が書き込まれている。 「今度こっちの方まで地図を延ばしたんですよ」。 商店街から1kmほど離れた工房まで、地図の中の道を引っ張ってきたらしい。画用紙の端近くに四角い枠がふたつ、ウチと隣のNTT無人交換局とが離れ小島のように書かれている。 工房のまわりは住宅と畑ばかり、地図に入れるような店が無いので、商店街から白地に描かれた道路だけがやけに長い。 何のことかやっと飲み込めたのだが、それにしてもいきなり過ぎではないか。 ふつう事前に電話で連絡を入れるとか、飛び込みならまず何とか広告社の何某ですと自己紹介するとか、名刺を差し出すなり何かあるだろう。そう思ったが、世の中いろんな人がいるのだ。 さて看板に名前を入れてくれるのは結構だが、この目の前に突っ立っている若者は何しに来たのか。屋号の確認ではあるまい。答えは営業に違いない。 「で、それはいくらかかるの?」と聞いたら 「千円です」との答え。 また随分安い。都会ならまだしも片田舎の商店街で、店が百も二百もあるわけではなし、一軒千円ずつ集めても大した金額にはならない。それで本当に看板ができるんだろうか。いぶかりつつも、 「それは、いま払うの?」 「ええ」 まあ千円ならお付き合いしてもいいか。一旦は払う気になったのだが、いきなりやって来て紙一枚見せられただけで、果たして信じていいものかどうか。金だけ集めてそれっきり、なんてこともあるかもしれない。 迷ったあげく 「やっぱりウチはいいわ。そっちのほうから来る人はたぶんいないだろうし」と言ってお断りした。 「そうですか」、若者はあっさり引き下ると、 「こんど近く通ったら看板見てください」そう言い残して、来た時と同じに小走りに帰っていった。 (ウチの車には付いてないが)世の中カーナビの時代である。ケータイがあれば迷っても道順を教えてもらえるわけで、はじめて来る人に地図を送りましょうかと言えば、ナビがあるから行けるという答えが返ってくる。 そんな時代に手書きの商店街地図看板、一軒千円也が果たしてビジネスとして成り立つのかどうか、疑問はふくらむのである。 そもそも看板の話は本当だったのだろうか。まだ今のところ確認に行ってないのだが、新しく書き替えられた看板があったとしても、千円払わなかったウチの所は空欄だろうから、それはそれで面白くないのである。 |
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